• トップページ
  • 院長紹介
  • 患者様の声
  • 院長日記

こちらのページではさとう歯科医院 院長の日記として、 日々の出来事や歯科医療に関する情報を掲載しております。

診療雑感

「診療雑感」は、私が過去にどのようなことを感じ、
どんな診療を行っていたかをまとめたものです。
症例写真だけでは技術をお見せすることはできませんが、
文章なら私の人間性を語ることができます。

なじみの患者さんが言っていた、
「何かあったら、(佐藤)院長が出てきてくれるんだから、
 俺は今の先生を信頼してお任せしていますよ。」

とは、ありがたいひと言である。

【大学病院】新人教育

顎口腔機能治療部とは
先天または後天的な大規模な口腔内欠損の補綴を行う特殊治療室である。

そこで新人最初の治療になるのは、
上顎洞腫瘍摘出後のオブチュレーター(義顎)が多い。
手術後、口の中を覗くと、上顎の何割かが切除され、
副鼻腔から眼窩底までが露出している。

話すことも口から水を飲むこともできない。
点滴で命をつなぎ、首から胸にかけての包帯が痛々しい。

講師の教官から主治医担当の旨を受け、入院病棟に挨拶に出向く。
患者さんの目が語る。

「こんな大がかりな手術とは聞いていなかった。だまされた。」
恨みの眼差しが痛い。

治療室に車イスで移動してもらい、口の中を調べる。
術後の硬直のため指1本分くらいしか口が開かない。歯型が取れない。
ガンジー似の講師の先生に指示を仰ぐと、彼は振り向きもせずに坊主頭に指を当てる(自分で考えろよ!)。

学生時代の知識は通用しないし、通常の保険診療にも当てはまらない。
しばらく考えて型を取る道具を口に入る薄さまで削っていく。
ガンジーから「good!」の声がかかる。何度か型取りに失敗する。鼻や喉に材料が詰まり、
患者さんがむせって顔を真っ赤にする。
自分の無能さに泣きたくなる。

「大きなシリンジがあるだろう!」

とはガンジーの声。
「そうか注射器で材料を上顎洞(鼻の中)に入れるんだ。」
やったはいいが、今度は口の外に出せない。
「メスで切り離して外してからつなげよ!」

およそ2時間で初回終了。患者さんを入院病棟まで送り、帰ってくる。
そこでガンジー教官のゲキが飛ぶ。

「手術を受けた患者さんはこれから絶望と不安の日々を闘っていく。
 そんな中で水が飲めるようになることが大きな救いになるんだ。
 オブチュレーターが1日遅れれば1日余計に絶望する。
 患者さんを助けられるのは君たちの熱意ひとつにかかっている!」

外注すれば完成まで、4〜5週間かかる工程を、新人主治医は連日の泊まり込みで毎日工程を進めていく。
寝ずの作業で1週間未満のスピードを競う。
数日後に完成したオブチュレーター(義顎)を入れた患者さんが術後初めてはっきりした口調でこう言った。
「水が飲めるようになって、やっと生きたいという気持ちになった。頑張ってみるよ。ありがとう、先生。」
こうして数少ない顎補綴のスペシャリストのヒナが誕生していく。

【大学病院】矯正科の思い出

私が研修医の時代は、まだ確たるカリキュラムもなく、
ヤル気さえあれば何でも叶う恵まれた時代だった。

当然のごとく興味のある矯正科に申し込み、指導教官名に驚いた。
超体育会系のM先生だったのである。恐る恐る指定の日時に外来に出向くと
「質問とやりたいことを紙に書いて30分後にもう一度来い。」
といわれた。

30分後
「リンガルアーチは実習と同じ。これもそう、これも。クラスIの成人D.B.Sがやりたい?
 わかった。俺が初診受付のときに探しとく。ただ専門医じゃないからって手を抜くなよ!
 矯正科のルール通り教授診断も受けろ。それが終わるまでは帰れると思うな!
 俺がいないとき分からないことがあったら同期の(専門医の)Fに聞け。」

新患配当を受け、資料作り、模型分析、セファロ分析、診療方針…週末は全て矯正オンリーになった。
主治医として担当させていただいたOさんは、瞳も大きな美人で唯一歯並びが悪く、
夏前の写真でさえ口唇が閉じずひび割れていた。いつものごとく何とかしたいと闘志が涌く。

教授診断を通り、親知らずも含めた抜歯も、虫歯の治療も全てやらせていただいた。
(専門医だったら大学では矯正しかさせてもらえない。)

矯正科の外来に出る日はOさん以外の治療はM先生の指示のもとにやらせていただいていた。
毎日行くわけではない上、M先生の怒声もあってなかなか道具のありかさえピンとこない。
「バカチン! 遅い。」の日々が続き、矯正科通いはかなり神経も疲れていた。

そんなある日、M先生は診療・指導その他で多忙を極めていた。当然お付きの歯科医は私も含めてビクビクしていた。
「佐藤先生、この患者さんは上下ワイヤー外して16(イチロク)を18(イチハチ)に変えてパッシブにタイしろよ。
 シンチバックを忘れずに!」
M先生ならいざ知らず、当時の私では30分ではとてもクリアできない内容だった。

45分ほど過ぎて大爆発が起こった。

「佐藤君、君は勉強しに来ているのかジャマしに来ているのか! どっちだ!! もういい。俺がやる。」

M先生の声が外来中に響き渡った。周りがいっせいにこちらを見た。もうだめだと思った。

M先生が患者さんを連れて受付に向かうと、隣の先生が
「あの人はよくあることだから気にするなよ。」
と声をかけてくれたが、心ここにあらずであった。
「もう無理だ。ただ、このまま消えるのでは失礼になる。」

そう思い、3時半(外来は3時終了)頃、M先生の研究室のドアをノックした。
「おう、入れ。」
「先生、今日は大変ご迷惑を」
と言いかけたところで
「佐藤君、今日は悪かったな。まだ教えていないことをやらせてしまったようだ。」
M先生は机の引出しから矯正ワイヤーをジャラジャラと取り出し、
「君にクリスマスプレゼントをやろう。まず上下アイディアルアーチを20本ずつ、曲げて来い。
このフォームに合わせろよ。少しでも浮いていたらダメだ。」

M先生にとっては1本5分でも、私には1本20〜30分かかった。
クリスマスどころではなく、冬休み中、コタツのテーブルの上で、ステンレスワイヤーをフォーム通りに曲げ続けた。

曲線はOKでも、指で押さえて少しでも浮くところがあったらNGとなる。
それこそ指の皮がむけて「血染めのワイヤー」となった。
年明けにM先生の研究室にワイヤーを持参した。先生は形を見て、浮かないかを指で押さえてチェックしていたが、

無表情に
「次はファーストオーダー入れてこい。ケーナインオフセットのカーブにカドをつけるなよ。」
と言った。

翌週、それを持参すると
「忘れないように練習を続けろよ。」
と言って後ろを向いてしまった。

後から思うとその頃からM先生の言葉に変化が出てきたようだ。
また、先生は厳しいながらも私が失敗して口腔内撮影のフィルムをダメにしたときも、
「オレが他の先生たちに謝っといたからオマエはもう行かなくていい。」
と言ってくれるやさしさがあることにも、遅まきながら気づくようになった。
また、門下生であっても外に出て開業した先生に対しては
「先生、こういうとき開業医ではどういう治療を選択するんですか?」
と尋ねる謙虚さも持ち合わせていた。

私の目はまったくのフシ穴であった。

その後Oさんの治療は進み、でこぼこだった前歯がきれいに中に納まっていった。
そんなある日、M先生と私は同じ一点を見ていた。
Oさんの口唇にカラーの入ったリップクリームが塗られていた。
初めてOさんが化粧をして外来にやってきたのである。

診療終了後
「おい! 佐藤。やったな!! 今夜は祝杯だ。」
映画「愛と青春の旅立ち」の気分だった。その夜だったか定かではないが、同期の矯正専門医のF先生がこう言った。

佐藤君が上下20本ずつのワイヤーを持っていったとき、M先生はメチャメチャ感動しとったんだぞ!
 おかげで俺たちは『専門医ではない佐藤先生が上下20本ずつ曲げてきた。お前ら専門医は今日から100本だ!』
 ってことになっちまった。」

その後もM先生には御指導いただき、私の開業の際も
「一般医の先生の診療所を見学させてください。」
と言ってお祝いに来ていただいた。

ある日、2人でエレベーターを待っていると、M先生が
「佐藤先生、俺の指導に問題があるのかな? 先生の後、研修に来た先生が5人続けて辞めているんだ。」
「そんなこと絶対にありません。そいつらが生ぬるいだけです。」

アレレ?

【大学病院】普通の女の子

治療室に長年通っている女の子がいた。まだ、高校生。
先天性疾患のために、生まれつき歯の数が少なく、
上顎の発達が不十分で上の歯が表から全く見えなかった。

講師、助教授の先生と担当が変わっていったが、治療方針がおりあわず、
とうとう教授担当の患者さんとなった。

ある朝、ぶ厚いカルテケースとともに、
通常では考えられない大きさ(長さ)の仮歯の模型が教授の治療ユニットに置いてあった。

「今日は仮歯をこれに変えるのか…。」

受付の先輩衛生士が言った。
「タッチャンにNちゃんのお相手が務まるかしら?T先生もU先生も彼女とケンカしてダメだったのよ。
 彼女のお姉さんはすらっとした美人さんでね。
 Nちゃんは『なんで私はお姉ちゃんと違うの?
 私だってきれいな服を着てオシャレをして普通の女の子のように笑いたい!
 何で私だけ笑ってもかわいい歯が見えないの!?』と言ってね…。先生に彼女の心が癒せるかしら…。頑張ってね。」

やがて診療が始まった。

診療室に入ってきた彼女の目は、「すべての人を拒絶します。」と言っているようだった。
「Nちゃん。今日はあなたの希望通りに仮歯を作ってきました。これを入れて感想を聞かせてください。」
彼女は沈黙したまま、じっと仮歯を見すえていたが、やがて治療イスに座って目を閉じた。

初めて口腔内を診察した。そこには通常の大きさよりは長い、ただしとてもきれいな仮歯が並んでいた。
私は思わず「Nちゃん、この歯じゃダメなの?とてもきれいだと思うけど?」と言った。
「先生?普通の女の子は笑ったらウサギチャンみたいにかわいい前歯が見えるものでしょう?私の歯は見えないの?」

ウサギチャンか…。
確かに彼女の今の仮歯では、どう笑っても全く見えない。
いくらきれいに作ってあっても彼女の外見には全く貢献するしろものではなかった。
だから笑わない?
笑わない事に決めてしまったの?

よし!
私の心の中の波動エンジンが静かに動き出した。
「新しい仮歯を入れてみますね。」
模型上では、全くの異形だった仮歯が、彼女の口腔内に入り光を放った。
初めて上唇から、仮歯が見えるようになった。これなら、笑顔も作れるんじゃない?Nちゃん。

彼女はアシストのドクターに手鏡を求め、食い入るように鏡の中を見つめた。
その瞳がかすかに変化した。
「今までよりはいいみたい。これ、使ってみます。」
新しい仮歯を仮着して彼女を帰した後、これで前進したかと思ったが、
そう簡単ではない事を思い知るのにさして時間はかからなかった。

次の回には
「とてもきれいなんだけど、前歯の真ん中が少しズレてるみたい。もっとこっちが真ん中だったらカワイク見えると思うの。」
直そうとして即充レジンを用意すると
「ダメ。いじらないで!足したりしたらきれいじゃなくなっちゃう。」
そこで仮歯の入った模型と、仮歯を外した模型を作るために歯型を印象した。
そして、仮歯の入った模型に正中(まん中)修正用のマークを入れた。
そんな日々が続くうちに、少しは距離が近くなったかと思っていたが、その見通しは甘いと気づかされた。

学内でNちゃんを見かけて声をかけても、彼女は見向きもしない。

…外で声をかけないで。歯医者に行ってるのがバレルじゃない。私は歯なんて治していない…。

診療室だけで彼女と真正面から向き合うしかない。次の仮歯に専念しよう。
次の仮歯を入れると、「わあ。直っている。使ってみます。」
けれども、その次の診療日になると
「高校生の女の子は犬歯(糸切り歯)がもっときれいにとんがってるの。これじゃあオバアチャンみたい。」
前回と同じように2種類の型をとり、技工士の先生に要望を伝えた。

そしてその次には
「あんまりきれいにならんでいて、なんだか入れ歯みたい。もっと本物らしくしてください。」

次の仮歯は、こわれる可能性が高くなるのを承知の上で表の切れ込みを深くした。
そんな仮歯作りが何回も繰り返されたある日のこと、
「仮歯では本物の質感が出せない」という教授の判断から、本印象へと進む事になった。

ある日の教授チームの遅い昼食(いつも教授と私は診療の終わる6時頃まで昼食をとっていない)の席で、教授は私に言った。
「あの人はかわいそうなんだ。口元さえきれいになれば、人生が変わると信じている。助けてやってほしい。」

いつもながら信頼とともに重圧が押し寄せる。

佐藤「個歯トレー印象のあとは、ワックストライですか?」
教授「TEK(仮歯)であそこまできているんだ。ビスケット・ベイク(素焼き)からで良いだろう。」

その後、素焼き状態からの度重なる修正にとうとう担当技工士(教官)が悲鳴をあげた。
「これ以上の修正は、ポーセレン(セラミック)の強度を保障できませんよ。」
佐藤「もうグレーズ(ツヤ出し仕上げ)でいくしかありません。
   リアル(本物)感がないとNちゃんのOKは出ないと思いますよ。」
技工士「グレーズしてしまうと、その後の修正は1.2回が限度ですよ。」
佐藤「どうしてもダメだとなったら、全部(セラミック)を外してしまうことも考えています。」
技工士「ポーセレンもありますが、メタルフレームの方も限界です!」

勝負の完成品が出来上がってきた。だが、しかし、私の心に不安がよぎった。
私は完成品を持って教授室のドアをノックした。
佐藤「大山先生、Nちゃんのケース出来ました。」
教授「おお、そうか、ご苦労さん。」
佐藤「でもこんなに長くて重い歯でいいんでしょうか?」
教授「そうだな。でも、これが彼女の望む歯なんだろう?」
佐藤「口の中に入れれば確かにきれいに見えます。でも(バランスが悪くて)すぐ取れてしまいますよ?
   (それでもこれが医療といえるのでしょうか?)」
教授「そのときは佐藤、また2人で一緒に作ればいいじゃないか。そうだろう?」
佐藤「……」

…ボス、どこまでも、おともします。…

素晴らしいボスがいつも後ろで見てくれていた。
その人に少しでも近づきたい。その思いで今も私はさとう歯科医院を運営している。

【さとう歯科医院】私の30代がかかっている(1)

友人より、矯正志望の患者さんの紹介があった。
手順、期間、治療費と説明したが、決心がつかぬようだった。

帰り際の彼女の言葉
「矯正装置をしていたら、相手はキスのとき痛くないでしょうか? 私の30代がかかっているんです。どうか教えてください!」

後年私は自分自身も非抜歯矯正をうけたが、単に患者さんの痛みを知るためだけではなかったように思う。

【さとう歯科医院】私の30代がかかっている(2)

知人の女性が前歯2本のセラミック治療を希望して来院した。
「先生、私にいい人ができるような歯にしてください。もう29なんです。真剣なんです。」

「No.1の技工士さんのところへお願いに行きましょう。
 職人さんも直接頼まれたら、イキに感じるでしょうから。
 手作りのお菓子なんかあるとなおいいと思うけれど。」

数日後、アップルパイを持った彼女と、診療後に技工所を訪問することになった。

アップルパイと彼女を見た技工士さんは、本当にビックリしていた。真剣に色・型を選んで提案していた。
私が忘れていた頃、その歯を入れた彼女から、入籍を知らせる年賀状がとどいていた。

【大学病院】桃園の誓い 〜コーヒーブレイク〜

いつも診療の話ばかりなので、ちょっとコーヒーブレイクの話をしましょう。

研修医2年目の梅雨時だったかと思う。朝令暮改の訓示にうんざりして、
研修医4人で夕食にビールをひっかけ、研修医技工室に戻った。

まだ怒りが治まらぬ感じで周囲を見回すと、ワインの1,800mlビンを発見。
「これは先輩の置土産か。いいものを見つけた。」とばかり、4人で空けてしまった。
その勢いで誰がいい出したか、「各自一番若い患者さんに電話して合コンの約束を取り付ける!」ということになった。

皆さま、三国史と比べて何と志の低さと笑うことなかれ。なんと1人は大学1年生に電話をしていたのである。
その合コン当日、3対3の予定が歯科医の1人が遅れて場所がわからないというので、もう1人が迎えに行った。

3人の女の子の中に男は私ひとりが残された。
そこで、今は誰も信じないだろうが、それ以前の私は、働きのない男に女は無理(超古風!)とばかりに合コンを避け続け、
女の子と口を聞いたこともなかった。そんな私が8才年下の女の子に囲まれてしまったのである。
当たって砕けろと開き直るしかなかった。

以来常に女性に囲まれる日々が始まった。
今日もまた女性たちの無理難題がやってくる…。

【大学病院】麻酔が切れたら...

口腔外科と矯正科の両方に出入りしていた関係で、
矯正医から埋伏した親知らずの抜歯を依頼されることが多かった。

あるとき、抜歯1週間後の抜糸の際
「会計を済ませてお薬を頂く前に麻酔が切れてしまい、痛くて大泣きしてしまいました。」
と言われた。

大学生の女の子に大変な思いをさせてしまったと後悔し、
以来ポケットに痛み止めを常備するようになった。

研修医修了直前、自分の完全埋伏親知らずを抜こうと思い立った。
上司の教官でなく、同級生であれば私の手技に近いだろうし、
実際私の患者さんが受けた苦痛と同等ではないかと考えたのだ。
その後、麻酔が切れるまで待った。
「来た!」
痛み出してから「ポンタール」を内服。
15分経っても痛みが増すばかりで「ボルタレン」を内服した。
その30分後、もはや歩く震動すら耐えられなくなり、
最後に「ロキソニン」を内服し、それから30分、ようやく歩けるようになった。

こんな思いを2度と患者さんにさせぬように神様は教えてくれたのだと思う。

【大学病院】最高の治療

教授チームのトップにいたころ、モデルやタレントの女の子の患者さんも少なくなかった。
ある時、1人の女の子がかなり遅れてやってきた。大きな目を真っ赤にしてふさぎこんでいる。

佐藤「何かあったの?」
モデル「…」
佐藤「泣いたんだ…」
モデル「…」
佐藤「寝てないんじゃない?」
モデル「別に先生には関係ないことですから」
佐藤「寝てないんじゃ麻酔の注射は良くないね」
モデル「…」
佐藤「彼のこと…?」
みるみる真っ赤な目が水浸しになった。
モデル「こんなこと、言うつもりじゃなかったのに…」
ここからは大泣きになってしまった。
モデル「私たち、もうダメなんです。」
モデル「こんなのヤダ〜。」
佐藤「うん、うん、それで?」
一通り話を聞いて、
「大丈夫。彼ももう落ち着いているよ。部屋に帰っていると思うから、電話を入れてごらん。待っているから。」
10分程して笑顔の彼女が戻ってきた。
「先生の言った通りでした。これが最高の治療ですね!」

やれやれ、ほっとしたと思いつつも、時間外の洗い物をする衛生士さんの金属の擦れる音が一段高いことが恐ろしい。

「またやっちゃったなー。」

【大学病院】本当だったら

研修医修了後に学外に出る友人がいた。
彼の患者さんリストの中に弁護士希望の女子大生がいた。
決して有名法科ではないながら、大学卒業後に予備校に入り、司法試験を目指すという。
今も昔も私はそういうのに弱い。
「J子ちゃんをちょうだい。」と友人にお願いして、引継ぎをしたのはいいものの、
私個人の治療日と彼女の大学のカリキュラムが咬み合わない。
意を決して会ったこともない彼女の親に宛てて長文の手紙を出した。

<手紙の内容>
彼女の大きな志に比べてお口の中の状態の悪さに何とかお助けしたいと思います。
本当だったらこの歯を助けて、本当だったらこの歯を抜いて、親知らずを移動させ、
矯正を含めて大掛かりな治療が必要です。
彼女の試験本番のときに歯が痛んで困るような事態は何としても避けたいのです…。

幸いにしてか、あきれられてか、OKの返事をいただいた。
ただし、特殊治療室で普通の女の子が矯正治療まですることになった。
掟破りの進退をかけた治療は、その後も次々と舞い込み、私のトレードマークとなってしまった。

【大学病院】カズと張り合う 〜コーヒーブレイク〜

いつも診療の話ばかりなので、ちょっとコーヒーブレイクの話をしましょう。

あるタレントの女の子から相談を受けた。
当時25歳の人気サッカー選手「カズ」の誕生日プレゼントは何がいいだろうかと。

「多くの女の子に取り囲まれているから、並みのプレゼントじゃ気を引けないよな。
 ロレックスやアルマーニだって年上の女性やお嬢さまからもらうだろうし…。」
私のアドバイスが効いたのか、彼女は彼のポルシェの助手席に乗せてもらえるようになったらしい。

「カズがね…」「カズが言うんだ…」
ずっとカズ、カズ、カズで口の中に手が入れられない。キレた私はこう言った。
「そりゃあ今は彼がスターで有名人には違いない。
 でも60歳過ぎても今のままだとは限らない!(俺の方が有名人になってやる。)」

彼女は大きな目を見開いて固まっていた。
(何…このオ・ジ・サ・ン?)

後になって思う「カズは本物だったよな。ヤバイこと言ったかな?」

【大学病院】彼を助けて!

今日も診療室でモデルの女の子が彼氏の話に夢中になっていた。
「Mはね、カートのドライバーでね。腕はいいんだけどお金がないから、優勝できないんだ。
 ジャニーズのAなんかどうせ道楽のくせにいいマシンでさ...。」
「Mはね、友達の車が故障したからって、自分の車の部品を外して貸してあげちゃうんだよ。
 自分がレースに出れないじゃん!」

「でも、君はそんな彼が好きなんだよね。」
彼女は大きくうなづいた。

そんなある日...。
「Mが歯が痛いんだって。でも歯医者なんか行きたくないって言ってるの。どうしよう? 先生助けて!」
私は小さなメモ用紙にコメントを記入して彼女に渡した。
「これを彼に渡してごらん。君が言うような人だったら必ず私に会いに来るから。」
「本当? こんなメモぐらいでMが歯医者になんか来るの?」

彼はすぐにやって来た。
「あんなこと言われちゃ、来ない訳にいきません。覚悟してますからよろしくお願いします。」
立派な体格の男は痛みに弱い。治療イスの上でも体がこわばっている。
私はいつものように緊張を和らげるような会話をしながら痛みのない麻酔をした。

驚く彼を尻目に痛みもなく手際よく初回の治療を終えた。
彼の目に感動の文字が光っている。
数回の治療でスッカリ信頼関係を結んだ彼が言った。
「あいつ(モデルの女の子)色々問題ありますけど、根はいい女なんでこれからも守ってやってください。お願いします。」

やれやれ、俺は男にはいつも強いんだよね...。

【大学病院】これは私の歯ではない

ある日、アジア系の男性のカルテがあった。日本の美大での研究を終えて帰国し、
母国で教授のイスが予定されているという。

ところが交通事故に遭い、下の前歯を5本連続で失ってしまった。
もはやBr(ブリッジ)適応ではない。
当科講師の先生がCo-Cr(コバルト・クロム合金)の金属床義歯を作ったが、彼は納得しなかった。
「オーノー! これは私の歯ではない。」
それゆえ、教授患者として予約されたのだ。
教授室に報告に行くと、教授は難しさを察して外来に出てきてくれた。

「Kさん、この金属がダメ?」
「そうです。私の歯に金属はついていなかった。」
「じゃあ取ろうか。」
と言ってクラスプをいとも簡単にニッパで切断してしまった。
すごい握力である。
「佐藤先生、『マル模(研究模型)』をとってTEKを作ってもらおう。」
「コーヌスですか?」
「ああ。」

ここからは私の出番。
その後コーヌス・クローネ式のクラスプ(バネ)のない義歯を完成させsetの日をむかえた。
ここでKさんがまだ納得いかない。
「これ何? 私の歯にこんなのいらない。」
着脱用のノブが気に入らないらしい。またもや教授に来てもらい、指示を仰いだ。
「じゃあKさん、これも取ろうか。」
ノブを切断、研磨してコーヌスデンチャーを装着。
「オー、ドクター。やっと私の歯になりました。」

私の型破りも大山先生の影響を強く受けていると思う。

【さとう歯科医院】症例写真が少ない理由

大山教室での4年間を終え、開業するに当たって自分の実績を示すデータが欲しいと思っていた。
そこで教授に自分の治療させていただいた患者さんの口腔内スライドをコピーさせていただけないかと相談した。

彼の返事は
「君が実際に担当したんだから、全てよろしい。」
というものだった。意気揚々とスライドをセレクトし、開業予定の自院に持ち込んだ。

そんなある日、残っていた難しい治療の患者さん
(私が手を下した大掛かりの治療の患者さんは、開業後も長い間木曜日に大学で診療していた。)から、昔の話を聞いた。
彼女は顎顔面部の大きな外傷を受けており、当時の記憶は定かではないようだった。
受傷後、外科的な大手術を受け、その後歯科にも来院していた。

「私、ショックでした。本の検索をしていたら偶然形成外科の学会誌を見つけてしまい、そこで私の病名を知って…。
 形成外科の先生を本当に信頼しておりましたのに、複雑な思いです。」

私は自分のいたらなさを痛感した。
私が自慢したかった大掛かりな治療とは、患者さんにとっては、消し去りたい過去でしかなかった。
以来、私のスライドは埃をかぶったままである。

【大学病院】歯科衛生士

東京医科歯科大学の歯学部付属病院の外来に所属する歯科衛生士は驚くほど少ない。
それゆえ、直接診療を手伝ってもらうことは殆どなかったが、
外来での診療をスムーズに進行させるために、多大なるサポートをしていただいた。
どうもありがとうございます。

年上のYさん、昔からの教授の患者さんをよく把握しており、
色々アドバイスしてもらった。
仲間感覚で接してくれたMさん、私をしのぐ直言にしばしたじろいだこともあった。
元気ハツラツAさん、夜中まで診療したときも、習い事の後に気遣って帰って来てくれた。
「いくらなんでもやりすぎです!」
よく叱られたっけ。

いずれも肩こりがひどい人達だったので、よく肩揉みをして回った。
持ち寄りパーティーと称して宴会になると料理をしたのが私だけだったこともある。
(仲間内での私の評価のひとつに「嫁さんにしたい男No.1」というのがある。)

彼女たちの静かなる協力のもとに早朝から夜間まで診療させてもらった。
開業後も月1回のペースで訪問し、お菓子と肩揉みのサービスをさせてもらった。
ワガママ勝手な歯医者で申し訳ありませんでした。

【大学病院〜さとう歯科医院】泣ける男

大学病院時代から、スタッフ、患者さんともに女性が多い。
必然的にというか、だんだんカンが良くなっていった。目の大きな女性はわかりやすい。
目に、内部情報が豊富にある。お肌の調子、服装にも出てくる。
また、音にも敏感になる。世の中の男性諸氏、奥さまの台所の洗い物の音をちゃんときいていますか?

特に大学病院時代は周囲も独身の方が多く、診療後に声をかけた。
「ケーキセットでお茶しない?」
最初はとりとめもない話をしていても、何かあれば、話がそちらに向かっていく。問題の多くは交際相手のこと。
当時はまだ占いも知らず、また私の若い未熟さも重なって話が長くなることが多かった。


Aさん「彼は私のことどう思ってるの?」
Bさん「二股かけていたなんて信じられない!」
Cさん「彼とケンカしちゃった、どうしよう?」
Dさん「彼の奥さんが出てきちゃった」
Eさん「このままじゃ耐えられない!」
Fさん「私は彼を理解しようとつとめているのにどうしてわかってもらえないの?」

ほとんどの女性は公衆の面前ではおさえている。ただ、おさえきれない瞬間は突然やってきた。
夜の大学外来・医局、近所の駅前、渋谷ハチ公前の交差点…
―――ドラマのワンシーンのように。

「先生、ゴメンなさい。先生が悪いワケじゃないのに…。」
23年間もラグビーでスクラムを組んでいた私の胸は、泣くには調度良い厚さだったのかもしれない。
知らない人が見たら、私は大悪人。けれどそれを受け止めているから今日があると思う。

また、世の中一方的ということはありえないとだんだんわかってきた。

「タツヤ君、あなたの知らない所で泣いている子がいるかもね…」
年上の女性にそう声をかけられたことも耳が痛い。
年々気づかないフリもうまくなってきたようだ。どこかの男性に私のことでご迷惑をおかけしたこともあるだろう。

One for all. All for one

でいきましょうか! ダメですかね?

【大学病院】教授秘書

会議、指導、予算獲得、講演、講義、診療、などなど、
多忙をきわめる教授にとって有能な秘書は欠かせない。

一方、教授の診療をささえる私にとっても、彼女はなくてはならない存在だった。

彼女は教授の行動を把握しており、あと何分ぐらいで教授室に戻ってくるか、
随時私に伝えてくれた。
そればかりでなく、むずかしい話が可能かどうかの雰囲気までも。
また、教授室でよくコーヒーをいれてくれた。

厚顔無恥な私は、すすめられるままにソファーのなんと教授の席でコーヒーを飲んでいた。
教授室のすりガラス付きの扉越しに私を見て、教授と間違えてドアをノックした人のなんと多いことか!
名家の長女だった彼女は、家でのしつけも厳しく、幼少の頃から接客することも多く、
それゆえ「お客さまによろこんでいただくことも、早々にお帰りいただくこともできます。」と言っていた。

おかげで教授が戻るやいなや本日の治療予定を「勧進帳」のごとく読み上げ、すばやく実行に移すことができた。
本当に感謝しています。彼女にまつわる逸話は多いが、これはまたの機会に。

あるとき彼女から友人同士で飲み会をやらないかという誘いを受けた。
後から思うと、彼女の友人と私を引き合わせたいということだったらしい。
そうとも知らず、彼女の連発する「佐藤先生はイイ人なの。本当にイイ人なのよ。」に違和感を覚え、翌日抗議した。
「イイ人とは何事ですか?男はどうでもいい人とは言われたくない。」
その時初めて彼女の怒りの表情を見た。
「私は先生が素晴らしい、立派な方だと思い、そう申し上げたつもりです。」

翌日、謝りに行ったところ機先を制された。
「先生、私の考えが足りませんでした。佐藤先生のどんな所がどのように素晴らしいかを話さなければ、
 話が伝わりませんよね。今後は気をつけます。」

かないませんね。スクラム同様押すことしか知らない私は引かれると滅法弱いのです。

【大学病院】死に顔

これは私の直接の仕事の話ではない。
教授診療チームの後輩歯科医師から聞いた話である。

彼は優秀であるばかりでなく、その心配りたるや達人の域だった。
その後輩歯科医師なくして私は大学で無事診療を終えられなかったと思う。

動力担当部署に教授診療であることを電話すれば夜8:30頃まで動力が使えること、
それ以降は訪問診療セットを準備すること、技工部との連携、歯科衛生士への根回し、後片付け、
すべて彼が教えてくれ、先頭に立って実行してくれた。

なおかつ上層部の私への評価をさりげなく伝えてくれ、「まだまだ攻めの診療ができる」と教え、
励ましてくれた。本当にありがとうございました。

話を診療に戻す。患者さんは車イスに乗って奥さまとともに外来にいらした。
もはや治る見込みのないところまできており、口から食事をとれる状態ではなかった。
それでも総義歯を作ってほしいという。

「主人は来週予約しても、もう来院できないかもしれません。それでも主人の最後の願いを聞いてやってほしいのです。」
後輩歯科医は状況を察し、診療後に自分で義歯を作っていた。超特急で作った義歯を入れた患者さんは
「どこも痛いところはありません。鏡を見せてください。」
と言った。
それがお会いした最後だったという。

「佐藤先生、あとでわかったんですけど、あの人は有名な軍人さんだったんですよ。奥さまから手紙が届きました。」

先日はご丁寧な診療、ありがとうございます。
主人は帰宅すると私に昔の軍服を出すように命じました。
それを着て鏡の前で、なんと立ち上がり白い帽子もかぶり、満足の笑みを浮かべておりました。
本当にお世話になりました。

【さとう歯科医院】笑顔

そのご婦人は、ご主人に連れられて来院した。
以前、私がご主人の義歯を作っており、
常々「女房の体調が良くなったら連れてきますから。」と言っておられた。

ご病気の為か、あまり表情がなく、また長時間口を開けたり、
座っているのは困難な状態であった。
技術的なことは経験から何とでもできる。大学病院障害者歯科では
脳梗塞や心筋梗塞のあった方の心拍、血圧、脈の乱れ、血中酸素飽和度等を
モニターしながら(医科歯科大学でさえ麻酔医がつく余力がないので)
横目と耳を使って診療していたのだ。

問題は心だった。なんとか、少しでも癒して差し上げられないものか?
わずかな会話の中にヒントがあった。
「先生、サユリチャンてかわいらしいわよねえ?」
この方にとってのサユリチャン?
「吉永さん?ですか?」
「そうよ。口元がウサギチャンみたいでかわいらしいと思わない?」
これだ!吉永小百合さんの笑っている写真をさがした。少なくとも最近は歯の見える写真はない。

後日、ロウ義歯試適(洋服の仮縫いのようなもの)の際、私は技工士の並べた歯を少し手直しした。
若い頃の吉永小百合のような歯並びを作ってみたのだ。
「いかがでしょうか?」
私は手鏡を差し出した。
彼女の目に光がともった。
「あら、まあ!」
「あなた見て、どうかしら。」
「おお、おお、似合うよ。とても綺麗だよ。」

わずかばかりのお手伝いができたかもしれない。

【さとう歯科医院】占い

大学病院時代、教授の患者さんで高名な女性占い師がいた。
全盛期時代は三越本店をはじめ多くのデパートで占い教室を持ち、テレビ番組もあったという。

ある日担当させていただいたところ、非常に気にいっていただけた。

「先生うまいわ!他の若い先生と違う。名前観てあげる。」
「あんた、すごい優秀、頭も切れるわね。」

石川台で開業した後も来院していただき、
「わざわざ遠くからお越しいただき、ありがとうございます。」
と言ったところ
「冗談じゃない!私は忙しいの。お世辞で来る気なんかありゃしない。
 あんたの腕を見込んで来たのよ。大学に残っていたって別の若い先生たちが担当医になるんでしょう?」

そう言いつつも返す刀でという言葉があるように、ウチのスタッフを勧誘する。
「主婦だってお金が必要でしょう?占いを習ってお小遣い稼ぎしない?」
誰も乗り気にならないので、私が恐縮してしまった。
元来、人がやらないことで世の中に必要だと思ったことをやりたいタチである(タダの変人か?)。
男性占い師で表に立つ人もあまり見られないようにも思った。

「先生、私が習ってはダメですか?」
「あら先生?いいわよ。何曜日が都合がいいの?」

以降デパートのカルチャーコース(初級)から始まり、医院が1Fに移転するまで14年間程ご自宅で指導を受けた。
その間、主催する教室の理事や「日本占術協会」の会員にも推薦していただいた。
たまに「歯科医師免許」ではなく「占い師免許」を掲げたい気分になるが、
初めての方にとってはあまりにも怪しすぎるので自重している。
お付き合いの長い方や、お困りの方にさりげなくお伝えするようにしている。

ある日のこと、古くからの患者さんが来院された。
「原宿の美容師さんから『あなたの家の近くに良く当たる占い師さんがいる』って聞いたんだけど、先生のことなんですか?」
「そんな所まで?ああ、その人なら前に観たことがあります。ご両親が相談にいらしてね。」

彼女の場合、最初は「別に何も」とか「今年の運勢」とか言っていたが、雰囲気から先があるとみて休憩時間も続けた。
ついに出てきた核心は「永すぎた春」を「ハッピーエンド」にしたいというものだった。

こういう決断の場合は「易」が相応しい。厳しい解答でも受け止めてくれるか、
他の方法で流れをお伝えする方が良いのか尋ねたところ、迷った挙句であったが決断したいとのこと。
「易」は普通はぜい竹という竹の棒でやるが、場所をとるし、かさばるので中級者以上が使える(らしい)サイコロを使った。

出た掛は「地天泰五爻」

「とてもはっきり出ました。○○○してください。すぐにやらないとダメですよ。」
「はい、わかりました。やってみます。」

彼女の行動力は素晴らしかった。
翌日、彼女の母親からお礼の言葉と立派な果物をいただいたのであった。

【大学病院】初めてのコーヌス・クローネ

研修医1年目、4か月ずつ口腔外科、第3保存(根管治療)と研修し、
本来所属の顎口腔機能治療部の4か月が始まった。

研修開始早々、大山教授に
「このコーヌスのケースは君に任せる。わからないことがあったら聞きに来なさい。」
といわれた。

コーヌス・クローネといえば部分床義歯治療の最高峰。
多数歯のインプラント同様、「口の中に高級車が入っている」と言われる程高額な治療方法だ。
新卒社員にビッグ・プロジェクトを任せるようなものだ。

これはマズイ。
うかつに聞きに行ったら大変なことになる。いくらニブイ私でも緊張が走った。
当時コーヌスについての専門書は日本語では3冊しかなかった。
まず、何をおいてもその3冊を読み大きく分けて2つの手順があることを理解した。そこで教授室に行き、質問した。
「先生、内冠をpick upするんですか?それともsetしてからimpするんですか?」この質問は正解だった。
「pick upでやりなさい。」
その後もこのスタイルで大山教授につかえ、数々の無茶をやりながらも一度も雷を落とされずにすんだのである。

【大学病院】ティアドロップ

大学病院時代、すべての歯を
メタルボンド冠(白いセラミック歯)に変えたいというモデルさんがいた。

彼女は、いわゆる着色歯で、すべての歯が灰褐色に変色していた。
なんとか役に立ちたいと思い、いろいろ手をつくしたが、なかなか先に進まない。
何かがあると来院しなくなるのだった。

彼女の自宅電話、ポケベル(なんと当時は携帯電話がなかった!)彼女のママ、彼氏、
…と次々に押さえていったが、それでもつかまらないこともある。

前処置が終わり、いよいよ大規模に削って仮歯に変えようという段になった。
ここからは1回あたりのチェアータイム(治療時間)が大幅に長くなる。
仕事やオーディションの関係で3本ずつ仮歯というわけにはいかない。
事務所には、歯の治療はしていないということになっているからだ。

教授の指示でまずは1回に上前方10本、次に下前方10本を削って仮歯にするということになった。
治療時間は1回当たり5時間といったところだろう。
ここまで口腔内すべてにかかわってきた以上、何とか無事に仕上げたい。

だが、彼女の精神力が持続するだろうか?私の大学での残り時間も1年を切っていた。
教授は「口元の美」という講義のために審美治療の症例数をできるだけ集めたい。
彼女は、歯さえきれいになれば笑った写真がとれて自分は売れると信じている。

実際、南野陽子、観月ありさの間に「富士フィルム」のコマーシャルに入れるかというところまできていた。
彼女の母親(銀座か赤坂のママだったと聞いている)は私のことを買ってくれている(?)

全員の望みをかなえるため、何がベストだろうか?
私が彼女を「愛してしまった」というストーリーが1番被害が少ないのではないだろうか?
これ以上無理を通すとまわりに多大な迷惑がかかる。
当時の私はそれぐらいしか思いつかなかった。

実際数年にわたり治療を続けていると胸中かなり複雑である。50cm以内の距離に毎週のように入っている。
私はそのストーリーで行くことに決めた。
教授診療の名の元に夜間診療をするのも、誰のせいでもなく、私が彼女にホレてしまったため。

一度などは夜11時頃になり、手伝ってもらっていた研修医の女性の所属先から抗議を受けた。
相手は今では有名人の澤田則宏先生(私の同級生)で
「タツヤ!ウチの女の子に何をした!」
と言われてしまった。

また、彼女に相談事があると夜の街に連れ出したのも彼女が好きだから。
彼女がヘルニアで入院すると見舞いに病院へ行ってなぐさめた。

そうすることによって、まわりがそういう目で見てくれるようになり、何とか大問題にならずに治療をしていたが、
何度目かの音信不通が起こった年末のことだった。
担当技工士のOさん(教授の患者さんの担当は、すべて技工士学校の教官で、本来私などが口を聞けるレベルではない)が
あいさつに来られた。

「先生、私事で恐縮ですが、来年3月を持って退官することになりました。
 長い間大変お世話になりました。…ただ、唯一の心残りはあの…」
グッときて熱くなった。なんとしても彼女を連れ戻して3月までに作り上げねばならない。
昔風に言えば、「わが命に変えても」、の心境であった。

年明けの外来に彼女と母親の姿があった。
その日はいつもより混雑しており、事務局のスタッフが数名いたことから、政府高官も来院することがうかがわれた。
(タイミングが悪いな。)

順番になり彼女の元に向かった。
まず、母親が立ち上がり
「先生、大変申し訳ありません。Sチャン…」
と彼女をうながしながらお菓子を差し出した。
彼女は深くかぶった野球帽ごしにこちらを見た。
その眼は(どうせまたお説教でしょ。早くすませてよ。)と言っていた。
ゆっくりと立ち上がった彼女の頬に私の右手が向かった。左頬に1回、返す手で右の頬に。
瞳の水道管が破裂して、彼女は待合室を飛び出した。

「Sチャン!先生申し訳ありません。」
母親が彼女を追った。最悪の数分間、私は立ちつくしていた。10才年下の女の子に私は全くかなわなかった。

それでも私には仕上げる責任があった。
母親が連れ戻した彼女はまだ大雨が降っていた。
もしここで母親に暴力歯医者と呼ばれたら荷物をまとめて出る覚悟の上であったが、母親はすべてを理解してくれていた。
「Sチャン、泣いたままでいいから、スケジュールを持ってついて来て。」
1Fの外来から3Fの技工部まで私は彼女の手をとって進んだ。
人ごみがよけて道ができていった。

「Oさんいらっしゃいますか?」
驚くOさんに
「どういう工程表なら間に合いますか?」
「Sチャン、はっきり答えて。」
「うん、うん、…」
「はい、大丈夫です。仕事はキャンセルします…」

その後、かつてない程のペースで治療は進んだ。アシストしてくれる若手のドクター、衛生士、そしてOさんの協力の元に。
「Oさん、印象出ました。」
「すぐに取りにうかがいます。」
Oさんが石こう模型を起こし、すぐにやって来る。
「先生。8歯はいいのですが、2歯は少し甘いようなので、副歯型印象をお願いします。
 それと、大変申し訳ないのですが、全顎でもう1組個歯トレーを作ってきました。」
「Oさん、まだ3時間はかかると思うけど、大丈夫ですか?」
「何時まででもお待ち申し上げております!」

3月中旬、最後のセラミッククラウンを口腔内に装着し、医局資料としての口腔内外の写真撮影を終了した。
当然のようにOさんも立ち会っている。私は最後の仕事に気がついた。

ごきげんのSちゃんに
「Sちゃん、教授室の前で記念撮影しない?」
教授室のプレートをいれ、Sちゃんと遠慮するOさんの2ショットの写真を何枚かフィルムにおさめた。

当時まだ珍しい全顎治療の彼女のスライドも加わった、教授の「口元の美」の講演は好評で、続編も作られる程だった。

時は流れ、数年後の合コンでのことだった。
相手は衛生士さんのグループで、ふとしたことから懐かしいOさんの名前が出た。
「Oさん、うちの医療法人で技工やってますよ。」
「いつもきれいにして帰る技工机に1枚の写真が飾ってあるんです。誰って聞いても教えてくれないんですよね。」
「そうそう、2ショットは奥さんじゃないみたい。」
「つっこんでもね、『あれは、あっしの青春なんですよ。』だってさー。」

ああ。よかった。ほんとうにそう思った。

私と彼女の2ショットの写真は、もちろんない。

【大学病院】サプライズ(1) 〜コーヒーブレイク〜

いつも診療の話ばかりなので、ちょっとコーヒーブレイクの話をしましょう。

――2人だけの初めてのクリスマス・イヴ――のハズだった。
けれどもタレントのYチャンは待ちぼうけ。
次の日も、その次の日も。そして、とうとう大みそか。

Y「もう、絶対許してあげないから!!」
夜の10時、11時…。
誰かが彼女の部屋の扉を激しくノックした。疲れてテーブルに伏していた彼女。
Y「誰だろう、今ごろ?」
扉を開けるとそこには肩で息をしている彼が立っていた。
G「これ…。クリスマス・プレゼント…花屋がどこも閉まっててさ。何軒も何軒もまわったんだ…」
Y「クリスマスだったら、バラとか、ランとか…せめてあの赤いヤツ(ポインセチアのこと)とかさぁ…」
G「閉まっている花屋をなんとかたたき起こしてさ、これしかなかったんだよ。だから、ハイ!どうしてもYに花を買いたかったんだ。」
Y「これ…。シクラメンじゃない?!こんなのじゃ……。うれしい!」

Y「ね?先生。Gっていい奴でしょ!今までで1番泣けたプレゼントだったかな。」
うれしそうな彼女を前にして、私はシクラメンの別名(ブタのまんじゅう)をそっと胸にしまった。

【大学病院】サプライズ(2) 〜コーヒーブレイク〜

いつも診療の話ばかりなので、ちょっとコーヒーブレイクの話をしましょう。

2人で湘南までドライブ。海遊びに疲れて部屋に戻った。
アイドルのEチャンの口はとんがっていた。

E「何探してたの?下向いて穴掘ってばかり。つまんなかった。」
F「別に。何も探してなんか、いないよ。先にシャワー浴びてこいよ。」

――シャワー室の中で――
―何もないの?せっかくのデートなのに、サイテー!もう口聞いてあげないから!!−
Eちゃんがシャワー室から出ると、そこに彼はいなかった。
...少し強く言い過ぎた?...
慌てて辺りを見渡すと、テーブルには手紙とともに…。

――Eへ
誕生日おめでとう。
まだ宝石のネックレスは買えないので、
これを作りました。つけてくれるかな。――

E「何、これ…。さっきこれを集めてたんだ…。」
Eチャンの頬に涙が流れた。ふと気がつくと後ろにF君が立っていた。
F「これ(きれいな貝のネックレス)かけてもいいかな?」

E「先生、これですよ! 泣けるでしょ! 感激しちゃった!」

【さとう歯科医院】サプライズ (3) 〜コーヒーブレイク〜

いつも診療の話ばかりなので、ちょっとコーヒーブレイクの話をしましょう。

事前にひとりで飲みに行って、バーテンダーと親しくなっておくんだ。
当日、時間前にそこへ行き、彼に例の物を渡しサプライズを依頼しておく。

その後、そこに彼女をエスコート、乾杯。
そして赤ワイン…。

ゆったりとした時が流れ、彼女はグラスの底に何かがあるのに気づく。
「何か入ってる。これ…。」
私は出てきたルビーの指輪を彼女の指にはめる…。

岡田真澄さんが生前に語っていたストーリーである。
何人かの女性に話したことがあるが、気づかずに飲んでしまいそうと答えた女性ばかりだった…。

【大学病院】耳年増 〜コーヒーブレイク〜

いつも診療の話ばかりなので、ちょっとコーヒーブレイクの話をしましょう。

モデルのMチャン、私の友人のY君と、一緒に大学内でランチをしたときのことだ。
Y君が電話で席を外したとき、Mちゃんが言った。

M「Yさんってモテますよね。」
佐藤「どうしてわかるの?」
M「だって、Yさんってカッコ良すぎないじゃないですか(羽賀)研ちゃんみたいに
  整っていたら、普通の女の子は絶対無理だと思って近寄らないでしょ?
  Yさんだったら自分でも頑張ればなんとかなるって考える娘は多いと思うんですよ。
  だから絶対モテる。」
佐藤「その年(18歳)でどこでそんなこと憶えたの?」
M「12歳から大人の中で仕事してきたから、大人びちゃって。こういうの耳年増って言うんですよね。」

佐藤「ほかにはどんなこと知ってるの?」
M「25(歳)過ぎたら顔とスタイルだけの女は嫁のもらい手がない!!」
佐藤「シーッ!(周りを見て)」

Y「お待たせ。何を話してたの?」
佐藤「モテる男とある耳年増の関係についてだよね、Mちゃん?」
M「はい!」
Y「何それ?…まっいいか。」

まったく無敵の女は恐ろしい。

【大学病院】教授の教え

あれは私が研修医を修了して、医局に戻って間もない頃だったと思う。

1週間のうち、2日間は有名な開業医の見学、2日間は教授診療の助手、
週1日は自分の患者さんの治療、土曜は研修日、日曜はフリーという
特別な扱いを申し出て、前例がないと物議をかもしながらも、
多くの先生方のご助力でOKを出していただき、ほっとしていた頃だ。
(通常は大学院に入学しない限り、1〜1.5回の治療日以外は
 医局のノルマに埋没される日々だった。)

当時、教授の診療助手は新卒ドクターの定位置だった。
新人ドクターでは、まだ右も左もわからないため、しばらくはほとんど手が出せない状態だった。
私は、それが診療室のアキレス腱になっていると思い、及ばずながら私に任せてくださいと直訴した。
わずか2年のキャリアの差とはいえ、朝から晩まで昼飯抜きで勤めるうちに、
新卒ドクターや研修医、スタッフの信頼も得られるようになった。

そんなある日のことである。
いつものように診療は遅れ、およそ予約より1時間半オーバーとなっていた。

さすがに私ひとりでメインの部分を行うには無理だと判断し、ポスト形成後のシリコーン印象を研修医の女性の先生に依頼した。
すでに数回は技術の見学をしてもらっており、多く見積もっても30分もあればできるのではないかと考えた。
ところが何度印象してもポストの先まで印象材が入っていかない。
1時間をはるかに越えた頃、彼女の持ってきた印象は初めて先まで採れていた。

ただし、シリコンの練和が不十分だったためか、先端のわずかの部分が十分硬化していなかった。
時間も1.5時間ほどたっており、再チャレンジして100%を狙うよりは
先端部分を無視して(切断、トリミングして)メタルコアを作ってもらう方が良いのではないかと考えた。
そこで、先端のみをわずかにカットし、その印象で製作依頼書を書くように彼女に指示を出した。

その時だった。教授が診療室の横を通りかかったのである。
純粋で勉強熱心だった彼女(研修医)は、先程の印象を教授に見せて指導をあおいだのである。
教授は秘書に次の予定を修正するように指示し、外来に入って自ら先程のポストの印象に取りかかった。
印象を採り「これを技工部に提出しなさい。」と彼女に声をかけ、足早に次の予定に向かった。
私に声をかけることもなく……。

この無言の教育は効いた。心底こたえた。

「佐藤、まだ真っ白な新人に手抜きを教えてはいけない。ベストな治療だけを見せてくれ。」
そう言われたように感じた。
(そうだ。楽をする方法は、放って置いても憶えていく。
 仮にも教授の診療を代表する人間がそんなものを見せてはならない。)

また、次のようにも考えた。
一般に教授と言われる人の治療技術が高いのは何故だろうか?
多くの助手がついて手際よくできるからうまくなるのだろうか?

いや、違う!

1番するどい視線に常にさらされていて手を抜くことが許されないから、うまくならざるを得なかったんだ。

以来、私は歯科助手や衛生士よりも若手のドクターを助手につけるようになった。そして現在もそれを続けている。